今から遡ること23年。大分市からの情報発信に取り組む「大分市文化振興懇話会」の席で岩田学園理事長の岩田英二先生と元大分合同新聞記者の平松鷹史さんがジャズの話を始めた。
Aさん「戦後すぐの頃、竹町から路面電車の線路を横切ったところに喫茶店があったなぁ」
Bさん「あった、あった。あの前通ると心地良いジャズの音楽が流れだして、ハイカラやった」
今は、どちらがどなたかは覚えていないが、この会話は鮮明に覚えている。岩田英二先生からは随分と可愛がっていただいたが、残念ながらすでに亡くなられた。
今もお元気で大分合同新聞夕刊にコラムを書く、平松さんにお電話をした。
平松さん「あー。それは、喫茶キムラヤやったと思う。キムラヤスポーツやキムラヤ画材店とたしか兄弟だったと思うよ」
聴覚はとても前頭葉を刺激する。私にとっての二人の会話は、聴覚の情報だから私なりに描いた喫茶店が23年経っても色鮮やかに記憶に残っていたのだと思う。
私は、久しぶり(「ムッシュえとうの三ツ星名店街」以来)にラジオパーソナリティとして喋るにあたり、舞台を竹町にあったハイカラな「レトロな喫茶店」としたのである。